東京湾と荒川・利根川・多摩川を結ぶ水フォーラム
戸田の川から世界にまで広がった、河川美化のネットワーク
特定非営利活動法人 東京湾と荒川・利根川・多摩川を結ぶ水フォーラム |
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平成20年10月22~24日、マレーシアで開催された『第3回WEPA国際フォーラム』(主催:日本国環境省、マレーシア国天然資源環境省)に日本代表として参加し、綾瀬川の河川浄化活動の発表をした水フォーラムの大石さん。アジア太平洋地域から集まった多くの発表者の中で、NPOという立場は大石さんだけだったこともあり、会場では大石さんの発表の時が一番盛り上がったとのことでした。 昭和40年から戸田市で暮らし始めてから、ずっと近所の河川美化に力を注ぎ続けてきましたが、同じ“水”でつながっているアジア太平洋地域まで活躍の場が広がっています。今回は、“ボランティア”という発想のないアジアの多くの国々へ、そのパワーを知らしめた大石さんにお話を伺いました。 |
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向学心から早期退職を決意 平成11年に早期退職をしました。それまで、河川環境などに関する研修会や学会に出席しても、なかなか理論的に意見を言うことができないでいたので、もっと勉強するチャンスはないかと考え、大学の聴講生になりました。大学は、従来から関心のあった「河川環境」を扱っている芝浦工大に決めました。妻は、退職金の額が下がるので当初難色を示していましたが、勉強したい意欲は抑えられず、定年を待つことはできなかったのです。 大学では、高知県で森林保全税を設立した教授の下で学び、助手として高知県での調査へも随行させてもらえました。その他、研修会や講習会等での発表の機会を与えられるなど、聴講生でありながら多くの学習の機会を与えてもらえました。このときの経験は、現在の活動に非常に大きなプラスとなっており、教授には大変感謝しています。 |
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行政との連携をつくり出すまで
河川の美化活動を20数年間ずっと取り組んできたなかで、行政との関わりについては様々な葛藤がありました。例えば、荒川で市民が自発的にゴミ拾いをしても、河川敷は建設省(現国土交通省)の所管なので、市役所では「ゴミを処分できない」と言われました。これは戸田市に限ったことではなく、どこでも同様でした。事情を説明し、理解を求めると多くのゴミ袋を提供してもらえるのですが、最初から提供してもらうことはいつもできません。このようなやりとりは何度も繰り返されました。 15年ほど前、荒川下流域の行政機関(荒川下流事務所と東京都7区、埼玉2市)の首長と我々などの市民活動団体が一堂に会し、「市民が集めたゴミは地元自治体がゴミ収集をおこなう」という協定を作りました。協定締結後、とくに地元戸田市の対応が一番良いと自分自身も感じましたが、やはり関係者の間でも評判でした。また、前市長が、議会の中で「市民団体は育てるべき」と話してくれたこともあり、大きな励みになりました。 |
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美化活動の主役たち 何十年も毎日土手を掃除する人たちがいました。会のメンバーではなかったのですが、その中でも、特に熱心な人たちが二人いました。そのうちの一人は、当時ホームレスでした。「荒川に長い間住ませてもらっている。せめてもの恩返しに」と、活動を続けていたのです。現在も彼らの活動を受け継いでいる人たちが毎日清掃活動を続けています。私自身、途中でやめたいと思うときもありましたが、彼らのように毎日地道にコツコツ活動を続けている人に支えられ、教えられたおかげで、今日まで続けることができたのです。 |
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活動を継続発展させるために心がけていること 同様の活動をしている「綾瀬川を愛する会」の皆さんとは、お互い、「ゴミを拾い続ける」という基本は死ぬまで忘れないようにしようと約束しています。だから、私自身も暇さえあれば、ゴミ拾いに行きます。ただ、夏はヘドロからの悪臭により、吐き気がするなど大変です。でもやるしかないですし、やらないとゴミがたまってもっと大変になります。何でもそうですが、基本をおろそかにしたり初心を忘れてしまうと誰も賛同しなくなるので、活動をする上で、この心がけはとても重要だと思っています。 |
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