ぎょうだ足袋蔵ネットワーク
コミュニティ拠点「足袋蔵ミュージアム」 秩父鉄道行田市駅にほど近く、古い白壁の蔵が一棟建っている。これは「ぎょうだ足袋蔵ネットワーク」が運営する「足袋蔵まちづくりミュージアム」(以下「足袋蔵ミュージアム」)の建物。行田市民に「クリダイ」の愛称で親しまれていた栗原代八商店の足袋蔵だったのを改装・再生したものだ。ここで「ぎょうだ足袋蔵ネットワーク」代表理事・朽木宏さんと「足袋蔵ミュージアム」スタッフ・小堺久美子さんにお話をうかがった。 「足袋蔵ミュージアム」のオープンは2009年2月。「ここは行田の歴史・文化・まちづくりに関するさまざまな情報を収集・発信するとともに、市の内外からやってくる人々が集い、語らい、交流して行田のまちづくりを考えてゆくコミュニティの拠点、つまりぎょうだ足袋蔵ネットワークの拠点です」と小堺さんが語る。「秩父鉄道行田市駅には観光案内所がないので、観光客に『案内所は?』と尋ねられると駅員さんはここに誘導するんですよ。『蔵めぐりスタンプラリー』(毎年5月開催。2009年は約1,000人参加)もここがスタート・ゴール地点になって大賑わい。受付3人体制でもてんてこ舞いでした」
足袋蔵再生事業のこれまで
行田市(人口約9万人)では江戸中期から足袋づくりが盛んだった。最盛期は昭和13年頃。年間8,500万足の足袋を生産(全国シェアの8割)していた日本一の足袋の町だった。足袋製造が衰退し、町が斜陽化して久しい2003年6月、行田の中心市街地活性化のために行田商工会議所が音頭を取って「蔵再生にぎわい創出事業委員会」が発足した。そして行田市の助成・協力を得て遊休化していた旧小川忠次郎商店の店蔵を借り上げ、これを修復・再生させて町づくりの起爆剤とするための運営組織「ぎょうだ足袋蔵ネットワーク」を2004年3月に設立した。この蔵にはそば店「忠次郎蔵」、「ぎょうだ足袋蔵ネットワーク」の事務所、コミュニティ施設が入り、同年7月にオープンした。ここでは「そば打ち教室」が開かれたり、夏休みには市の内外から訪れる小中学生を宿泊させ、ご飯炊き・すいか割りなどを楽しむ「足袋蔵昔体験セミナー」を開催した。 ぎょうだ足袋蔵ネットワークは2005年10月、老舗足袋商店・牧野本店の足袋蔵を借りて「足袋とくらしの博物館」をオープンさせた。これが足袋蔵再生事業の第2弾だ。設立には県のNPO活動本格化支援助成(ステップアップ事業)からの補助が大きかったという。そして足袋蔵第3弾の「足袋蔵ミュージアム」へと続いた。
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忠次郎蔵 |
足袋蔵ミュージアム |
行政との連携 ところで「ぎょうだ足袋蔵ネットワーク」の活動については『2005年版つながリスト』(埼玉県発行)にも紹介されていた。そこにはメンバーのこんな発言がある。「…行政職員のNPOに対する認識に温度差を感じます。(略)行政が補助金などで支援しなくても、よりよい活動であると認めるだけで、活動がやりやすくなることも多いのです」――行政へのこの意見はその後4年間でどう変化したか、朽木さんに聞いた。「目に見える成果を上げているので、私たちの活動を多少認知はしてくれているようですが、当初からメンバーに加わっている職員以外の市職員のNPOに対する認識は基本的には余り変わっていません。県のほうからは過去に3回助成を受けているし、NPO活動推進課はよく声を掛けてくれる。でも市に対しては何かアクションを起こしても、リアクションが少ない」とため息をつく。もっとも数年前から毎年文化財調査の委託があり、今年は足袋蔵ミュージアムの運営費への補助が少し出たとか。過去に文化庁からもソフト面への助成を受けることができたという。ソフト面への助成とは、「具体的には文化財を守るための人材育成事業への助成。おかげで『足袋蔵保存活用コーディネーター養成講座』を開催してNPOメンバーへの啓発に役立てることができた」との朽木さんの話だった。 |
☆取材を終えて☆ 建築家である朽木さんが行田市内の足袋蔵の現状について「骨組みも細部もあちこち傷んでいてどれも大改修が必要です」と説明した。「ぎょうだ足袋蔵ネットワーク」の活動には、やはりみんなの支援と協働の輪の広がりが何よりも不可欠だと感じた。 |
☆協働相手からの応援コメント☆ |